2013年06月30日

ルーブル美術館展



みなさんこんにちは~。

イタリア年ともいえる2013年の美術界も、もう半年を折り返して後半へ・・・

ラファエロ~ダ・ヴィンチが終わり、9月にはミケランジェロが控えています。

ここで美容師にとって、注目の美術展が7/20から始まりますので紹介します。

『ルーブル美術館展:地中海4千年のものがたり』です。

メインになるのはこの写真「女神(ディアナ)」です。


ギャビーのディアナと呼ばれるこの彫像は、ギリシャ風の短い衣装などから
狩りの女神アルテミスと言われているそうです。(日本初公開)

先ほど「美容師にとって」と言ったのはこの女神のことではありません。
この写真を見てください。



泳ぐ乙女が腕を伸ばして受け皿を支える木製スプーン・・・
これ、化粧品用スプーンです。

ルージュなど色物を入れる品ですネ。 形や素材を変えた多くのバリエーションを
観ることが出来るようです。 ちょと興味が出ましたか?
参考に次の写真。  どうです?



水鳥のスプーンには羽が付いていて、羽は蓋になっていたそうです。
使うときは左右に開くというすぐれもの。 紀元前600年頃ですヨゥ・・・

残念ながら・・・東京都美術館(上野公園内)は月曜休みなのです。
長野の美容室は月曜定休が多く、美術展鑑賞には苦労しますネ・・・。  


Posted by makoto at 12:23Comments(0)美術展

2013年01月27日

グレコ展

行ってきました。

没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠エル・グレコの大回顧展。



エル・グレコは16世紀から17世紀にかけてのスペイン美術の黄金時代に活躍しました。

ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられます。

生まれはギリシャのクレタ島。ヴェネツィア、ローマでの修行を経てスペインのトレドにたどりつきます。

エル・グレコは、引き伸ばされた人物像が印象的な宗教画や、

モデルの人となりをも描き出す独自の肖像画で有名ですが、ピカソら20世紀の巨匠たちからも、
その作品は高く評価されています。

この展覧会では、プラド美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館など、世界の美術館や教会から

油彩とテンペラ画51点が集結。

高さ3メートルを超える祭壇画の最高傑作の一つ《無原罪のお宿り》も初来日です。

国内史上最大のエル・グレコ展なので・・・ぜひ観に行きましょう!

  


Posted by makoto at 17:17Comments(0)美術展

2012年12月15日

宮殿へ行こう

国立新美術館で開催中の「リヒテンシュタイン 

華麗なる侯爵家の秘宝」展に行って来ましよ~(^^)/



『ようこそ、わが宮殿へ』というキャッチコピーの言うとおり・・・

豪華なバロックサロンが美術館の中で、再現されていましたface08

もう、ビックリです。こんな展覧会初めてでした!(下の写真)



絵画だけでなく、調度品などすべてが本物なのです。

当時の生活空間や時間までもが体験できるように感じました。



リヒテンシュタイン公(侯)国はオーストリアとスイスの間にある、立憲君主国家です。

リヒテンシュタイン家はハプスブルク家の家臣であり重要な地位に就いていました。

芸術を愛し、蒐集(研究のため集める)を家訓としていたようです。

12月23日が最終日です。(火曜休館)

ぜひとも六本木へGO!  


Posted by makoto at 14:59Comments(0)美術展

2012年11月21日

デルヴォー



高校時代からあこがれていた画家『ポール・デルヴォー』

その展覧会が、府中市美術館で開催されていた。

ダリやマグリットは日本でも有名だが、このベルギー生まれの

巨匠の存在は・・・いがいと知られていない。

今年7月から鹿児島を皮切りに、9月から東京、11月半ばに下関市・・・

来年9月までに国内6か所の美術館を巡回するそうです。

府中展最終に観ることができ、とてもラッキーでした。

紹介するこの絵の題名は「行列」です。

ブリュッセル郊外に実在する洋館、実際走っていた列車・・・

これらのものが解体されることに憂い、車両部品や鉄道関連部品を

収集してまで現実感をキャンバスに表していたデルヴォー。

永遠の恋人「タム」がモデルと思える女性の『儀式』と感じさせる行進。

絵を観た瞬間に、デルヴォーの術中に引き込まれました。

これぞ超現実・・・シュール・・・です。

恋人タムについては、もう一つのブログ・・・「美容師の目」にて、後日書きます。

http://peco.naganoblog.jp/    ←(美容師の目)

  


2012年09月09日

真珠の耳飾り

この絵の作者は、室内の光景を描いた作品が多く、
窓ガラスから差し込むやわらかな光を得意としています。



光の画家と呼ばれる・・・彼の名は「 ヨハネス・フェルメール Vermeer 」
17世紀バロックに分類され、オランダ(デルフト)で活躍しました。
バロック美術を代表するルーベンスやレンブラントと比べると・・・
ドラマティックな光と影やおおげさなポーズが、フェルメールには見られません。

同じ時代にいただけで、バロックといっしょにしていいの?・・・っと思います。

とにかく、彼の絵から感じるものは・・・静けさです。


(この絵は参考です。美術展に無関係)

『マウリッツハイス美術館展』に行き、冒頭の「真珠の耳飾りの少女」を観てきました。

この絵の前で多くの人が立ち止り、動けなくなっていました。

その秘密は・・・瞳にうつる光の位置とつややかな唇にあるようです。
少女の眼を交互に見てみると・・・なんだか異なった感情があるように思います。
その唇からでる言葉は、どちらの感情ででてくるのか・・・などと考えてしまいます。

彼女の左目と周辺は、画家がやや上から眺めて描き・・・
右目のほうは、水平な目線で描いているのではと言われています。

耳飾りの真珠は、顔との比率計算で・・・直径3cmを超すとききます。
フェルメールの絵は・・・彼の生活とともに謎が多いのです。



今回美術展のオフィシャルサポーターに、女優の武井咲さんが就任しています。
音声ガイドの一部で声を聴くことができます。

武井さんが少女に扮して写真を撮ったとき・・・
フェルメール得意の窓からさす光だけでなく、意図的に真珠とターバンにも
光源を使っているとわかりました。

残念ながら9月17日までです。ぜひ上野の東京都美術館へ!
  


Posted by makoto at 17:57Comments(0)17世紀 バロック

2012年08月12日

モネの遺言

画家クロード・モネの最後の大連作『睡蓮』を飾る美術館の
名前は?

『積み藁』『ルーアン大聖堂』『ポプラ』そして『睡蓮スイレン』。
『印象・日の出』に始まるモネの芸術は、まさに「光」の探求そのものでした。
失明の危機にあった最晩年のモネは、自らの芸術の命ともいえる「光」を失う恐怖と
闘いながら、水面にきらめく光と睡蓮の花が織り成す微妙なニュアンスを繰り返し描きました。
だからこそ、完成した大連作『睡蓮』を飾る美術館には、明るい「光」が必要だったのです。



答えは・・・オランジュリー美術館です。(1926年開館)



ここはルーブル美術館の別館で、モネが考え、望んだ展示空間
温室(オランジュリー)を再現したものでした。

ところが1960年代の改装で、展示数を増やすことに執着したことで、
睡蓮の間は光を失い閉鎖的な空間になってしまいました。

そこで・・・2000年から改修工事に入り、2006年の再オープン時に
画家晩年の大壁画「睡蓮」を飾るにふさわしい空間を取戻しました。

モネ死後(1926年86歳)数ヵ月後にチュイルリー公園の一画にオランジュリー美術館が開館しました。
光の画家として活躍し、光の美術館に収まる作品たち。
モネの笑顔が見えるようです。  


Posted by makoto at 16:14Comments(0)19世紀 印象主義

2012年08月04日

印象・日の出

この絵は・・・誰の絵でしょうか?



1874年、第1回目の展覧会が開かれました。
彼の「印象・日の出」と題したこの絵は・・・
美術記者によって酷評されてしまいます。(T_T)/~~~
当時の批評家には、彼と仲間たちの描いたものが
スケッチにしか見えず・・・完成品ではないと思えたのです。

そして、この絵がきっかけで『印象派』という呼び名が生まれ

この展覧会のことを「第1回印象派展」といわれたのでした。

この時代、神話や歴史物語などが絵の中心に考えられていました。
しかし19世紀に入ってから人々は、科学の力を意識するようになります。
画家も光を分析しました。
影は黒か茶色で描いていたのですが、赤・青・黄色の三原色の
研究から・・・影は黒ではないと気付いたのです。
太陽光の下で画家たちはイーゼルをたて、戸外で絵を描き始めました。
絵具もこの頃からチューブ入りの油絵の具が主流となります。

光の再発見といわれる印象派展のメンバー。

彼の名は 『モネ Claude Monet 』でした。
  


Posted by makoto at 12:13Comments(1)19世紀 印象主義

2012年07月16日

誰の絵



ローマ法王が住むヴァチカン宮殿に、教皇専用の聖なる場所

システィーナ礼拝堂。 その天井を見上げると・・・

誰もが驚く世界最大の天井画(13m×36m)があります。

彼は旧約聖書の「創世記」の9場面をたった一人で描きあげました。

なかでも人気の場面は、写真の『アダムの創造』です。

天空より現れた力強い神が、大地に横たわる弱弱しいアダムに

生命を吹き込みます。

天井全体のようすは・・・こ~んな感じで、圧倒されます。



『アダムの創造』は、まん中やや右の部分です。わかりますか?

彼の名は・・・ミケランジェロ

レオナルド・ダ・ヴィンチより23歳年下ですが、レオナルド、ラファエロとともに

ルネサンスの3代巨匠です。

1505年頃フィレンツェで、ミケランジェロとレオナルドはライバルとして

作品を競い合っています。  


2012年07月15日

受胎告知



誰の絵?

この作品は、前回紹介した「ヴェロッキオ工房」で修行中の若き巨匠が描いたもので、
彼のデビュー作とされています。

現イスラエルの都市。北部地区のナザレに住むマリアのもとに、突然現れた天使ガブリエルが
「おめでとう。恵まれた女よ。主があなたと共におられる」と告げ、乙女であるマリアに
神の子が宿ったことを伝えるといった内容が描かれています。

まだあどけなさの残る読書中のマリアに天使ガブリエルが受胎を告げることから
「受胎告知」というタイトルになっています。

天使ガブリエルが左手に持つ百合の花は、純潔のまま身籠もったという証とされており、
ガブリエルが右手の二本の指を立てる仕草は・・・祝福を意味するポーズと言われています。




マリアがまとっている衣装は、赤は「愛情」を、青は「信仰」を表していると言われています。
聖母マリアの描かれている作品では、この衣装が定番なので、ぜひ確認してください。 



作者は・・・レオナルド・ダ・ヴィンチ

彼の確立した画法は・・・

フィレンツェの建築家ブルネレスキの理論である『線遠近法』が1420年頃に
発表され、初期ルネサンスの画家たちにより確立されましたが・・・
さらにレオナルド・ダ・ヴィンチは遠近法にこだわりました。
現在の絵画では遠近法なんて当たり前の技法ですが、「ルネサンス」以前の絵画では
メインの人が大きく描かれ、その前に立つ人が小さく描かれたりと・・・
遠近逆転など当たり前の時代でした。

1点透視とか2点透視法などの線遠近法をさらに進めた技法は・・・
「空気遠近法」です。
遠くの景色はぼんやり見えることを利用して、色彩のの変化と色調の明暗で表現しました。

この受胎告知でも、遠くの景色は青色を用いて、空気の中に消えていくように
描いています(スフマート技法)



あらためて絵の全体像を観ると・・・線遠近法の「消失点(平行線の集まる場所)」が
よく解りますネ。
  


2012年07月14日

誰の絵



この絵はフィレンツェの画家による『キリスト洗礼』という作品です。

作者は誰でしょう?

左端の天使を担当し描いたのは、彼の弟子「レオナルド・ダ・ヴィンチ」です。

他にもキリストや右側に居る洗礼者聖ヨハネの部分にもボッティチェリや
ディ・クレディの手が入っているとする研究者もいます。

彼(作者)の名は・・・ヴェロッキオです。

この作品は、フィレンツェのウフィッツィ美術館にあります。  


2012年07月13日

誰の絵?



この絵『受胎告知』の作者は・・・誰でしょうか?


作者は、初期ルネサンスの代表的な画家です。
この「受胎告知」では、遠近法を使い・・・
中世美術に見られない「奥行」の表現に成功しています。


答えは・・・

フラ・アンジェリコ

フィレンツェのサン・マルコ修道院で会えますよ。
彼は『天使のような僧』とたたえられた画家(修道僧)だったのです。

  


2012年06月02日

ボストン美術館


上野の東京国立博物館に「ボストン美術館 日本美術の至宝展」
を観に行ってきました。

明治維新後の廃仏毀釈の時代に「焼かれたり」「こわされたり」した仏像や美術品。
処分前のそれらの価値を見出し、買い集めてボストンに持ち帰ったのが、
「フェノロサ」というアメリカ人です。その助手を務めたのが「岡倉天心」。
そして日本美術に魅せられてフェノロサとともに膨大なコレクションを
収集し監修したのが「ビゲロー」。

ボストン美術館展の東洋美術、日本美術コレクションは質量ともに
世界最高水準を誇ります。
また、今回来日の品々は、もし日本にあれば国宝指定されている作品なのです。
感動することうけあいます。

中でも面白いものの一つが「絵巻物」。
「吉備大臣入唐絵巻」という、幻想冒険コメディ漫画?

吉備真備(きびのまきび)が唐にわたり、役人の様々なイジワルに会いながら、
先に唐に渡っていた阿倍仲麻呂の幽霊に助けられながら、超能力で次々難問を
解決してゆく。という物語を全長24mだったかな?長~い絵巻物です。
全4巻、絵巻の第4巻(約6メートル)は囲碁の話が中心です。
遣唐使として海を渡った真備がいかにして中国大陸から囲碁を持ち帰り、
日本へ伝えたのかというのが主題になります。
鳥取市の神社で毎年、真備の名を冠した囲碁大会が開かれているそうです。
絵巻は12世紀後半の作で、後白河法皇が制作させたと考えられている。

  


Posted by makoto at 16:29Comments(0)美術展

2012年03月03日

ハレー彗星

イタリア、フィレンツェの郊外で、羊番の少年だった彼は、
いつものように羊の絵を岩に描いていました。

仕事の依頼を受け、打合せに来た帰り道・・・
それを見たチマブーエ(美術の巨匠)は、その写実力に驚き、彼を弟子にしました。

後に「西洋絵画の父」と呼ばれる彼の名は・・・・・・『ジョットGiotto』



この絵は『東方三博士の礼拝(マギの礼拝)』といいます。
キリストが誕生した直後、東の国で誰も見たことがない星が西の空に見えた。
占星術師である博士たち3人は、星に導かれてベツレヘムのキリストの
もとまでやって来ます。

ベツレヘムの星といわれるこの星こそが・・・
76年周期で地球に接近してくる「ハレー彗星」なのでした。
1301年にハレー彗星が現れ、ジョットは1305年にこの絵を完成させています。

彗星の写真が撮影されたのは1910年。
視覚的に正確なものとして、彗星が記録されたのはこの絵が世界初なのです。

また、キリスト絵画はこれまで平面的でありいろいろな規則に縛られていました。
それを改め、遠近法をもちいて画面を立体化し、人(イエスやマリア)の表情に
感情を表しました。・・・・この大いなる業績に「西洋絵画の父」といわれるのです。

ジョットは晩年、フィレンツェのドゥオーモの建設に関わります。
そして有名な「ジョットの鐘楼」の設計を手がけました。
ドゥオモの迫力とは対照的に、軽やかさが見られる3色の大理石による装飾で
おおわれた高さ85mの美しい塔です。
ジョットは完成を見ることはなかったのですが、観光名所として人気スポットです。
  


2012年02月04日

必見の美術展

2007年「牛乳を注ぐ女」に感動し・・・


2011年「地理学者」では、日本の着物とのかかわりに驚き・・・


そして、2012年「フェルメールからのラブレター展」を鑑賞し・・・
フェルメールの奥深さを知りました。


手紙を書く女を題材に、3点の作品を観ることができます。
床の上に捨てられた「書き損じの手紙」・・・
書き手の女性の心の変化や機微が感じられ、静けさの中にも
心の動きが表されていることに・・・びっくりしました。

ところが・・・なんと<(`^´)>

『フェルメール光の王国展』が、7月まで開催されています。


これは、ヨハネス・フェルメールの全37作品を福岡伸一氏監修のもと、
最新のデジタル技術で「re-create」(リ・クリエイト)=再創作。
フェルメールが描いた350年前の鮮やかな色彩を追求した、
かつて誰も見たことがないフェルメール作品だけが陳列されたギャラリー
なのだといいます。

うっわ~face08
観たいぃ!
  


Posted by makoto at 17:02Comments(0)Art

2011年10月14日

昼食

誰の絵



題は『草上の昼食』です。

またまたスキャンダルになった作品です。
女神ではない裸婦と当時の服をキッチリと着こなした紳士。
展覧会会場では多くの人が集まったようです。

この絵はオルセー美術館にあり、横幅は264.5cmと大きな作品です。
印象主義誕生のきっかけとされる絵で、作者は印象主義の父と言われています。

その名は『マネ Edouard Manet』

マネ以前の新古典主義以後の傾向として、影を描くのに黒の画材を
使っていました。
そこに反発した画家たち(マネをしたっていた)は、自然は黒くない!
影の中にも色が存在すると主張しました。

絵の具をできるだけ混ぜないで描くようになります。
それが『印象主義』の幕開けです。

でも・・・マネは、黒を使い・・・自分でも印象主義では無いよ~っと言っています。

  


Posted by makoto at 18:18Comments(0)19世紀 写実主義

2011年10月10日

フランダースの犬

「なつかしのアニメ名場面特集」などの定番シーンとなっている
フランダースの犬最終話。おぼえていますか?

絵を描く事が好きなネロ少年は、芸術に理解の乏しい一部の村人からは
「絵ばかり描いて仕事をサボる怠け者」と思われていました。
最終話にてベルギー・アントワープの大聖堂でパトラッシュと凍死し、共に天に召されます。



この絵・・・誰の絵?

ネロは、いつか画家になることを夢見ており、アントワープ中央の大聖堂にある
二つの祭壇画を見たいと心に望んでいました。
それはベルギーが世界に誇るルーベンスの筆によるもので、見るためには高価な観覧料を
必要とするため、貧しいネロには無理でした。

この絵は『聖母被昇天』といいます。
聖母マリアは 亡くなった3日後の8月15日に、その死体が墓から天上界へと
天使たちによって運び去られて行ったとされています。
これにより「昇天」では無く「被昇天」という言い方になります。
カトリックにおいては、この地上にはキリストの死体と聖母マリアの死体は
存在しないことになります。
右下では石の棺が空になっているのを不思議そうに覗き込んでいる人々が描かれています。


もう1枚の祭壇画『キリストの降架』実は『キリストの昇架』もあります。

アニメでネロとパトラッシュが天使にかかえられて召天するシーンをイメージし
実現させたのは、スポンサーのカルピスの当時の社長の土倉冨士雄氏であると言われています。


  


Posted by makoto at 18:18Comments(1)17世紀 バロック

2011年10月09日

誰の絵?

画題は『グランド・オダリスク』です。(ルーブル美術館)

作品が横162cmもあり大きなという意味の「グランド」が付いたのか・・・
「オダリスク」とは、ハーレムに住む女という意味です。



フランス生まれの彼は、イタリアのローマやフィレンツェに留学して、
ルネサンス美術を研究しました。
そしてラファエロに大きく影響され、古代ギリシャ彫刻や絵画のように
調和の取れた優美な新古典主義を確立し優雅な画風になりました。
しかし・・・的確ですばらしいデッサン力があるのに、女性の裸体に
特別なデフォルメを与えます。
妙に長くゆがんだ背中、引き伸ばされた腕など・・・face08
彼の名は『ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル

アングル34歳で「オダリスク」を描きましたが、その後ドラクロアのロマン主義や
クールベの写実主義が主流になり、マネが「草上の昼食」を発表して印象派の時代が
もうそこまでという時も画風が変わりません。
そんな頑固一徹な巨匠は、71歳で28歳の年下婚を実現。
82歳の時に『トルコ風呂』を発表します。ねっ、雰囲気変わらないでしょ~?
  


Posted by makoto at 19:19Comments(1)19世紀 新古典主義

2011年10月06日

裸のマハ

この絵・・・だれの絵?

スペインの宮廷画家としてデビューして6年後、突然の病に倒れ、
46歳で聴覚を失いました。



この作品は、西洋絵画史上初の「生身のヌード」作品として有名です。
それまでは神話や歴史上の人物(ビーナスなど)として描かれていました。
彼は、この『裸のマハ』で・・・カトリック教会から宗教裁判にかけられました。



彼の名は『ゴヤ』Francisco de Goya

ゴヤは同じモデルに着衣で同じポーズをとらせて『着衣のマハ』を描きました。
マハというのはモデルの名前ではなく、小粋な女という意味だそうです。

日本では40年ぶりの本格的「ゴヤ展」が国立西洋美術館[東京・上野公園]で、
開催されます。
目玉は『着衣のマハ』が来るのです。
会期は、2011年10月22日(土)~2012年1月29日(日)月曜休館です。
スペイン国立プラド美術館の所蔵品を核に123点のGoyaを鑑賞できるのです。
美容に携わるものとして、ぜひ皆さんに観てもらいたいと思います。
みやびなロココ時代から激動のロマン主義芸術がそこに展開します。

僕は中・高校時代に、ゴヤの「プリンシペ・ピオ丘の銃殺」と
ジェリコーの「メデューズ号の筏(いかだ)」(政治的弾圧があった)を観て、
画家たちの主張を封じ込める国家や宗教に異議を感じ、
映画「いちご白書」で・・・学生運動に目覚めたことを覚えています。


展覧会、行った人は感想聞かせてくださいネ(^.^)face05  


2011年10月05日

光の画家

この絵・・・だれの絵?
現存する作品が、35作品程度ということで有名な
オランダを代表する画家です。



その名は・・・『フェルメール』

ヨハネス・フェルメールは、レンブラントと並びオランダを
代表する画家です。日本人のフェルメール愛好家は多く
「すべての作品を観よう」という海外ツアーが好評です。

この絵の題名は『牛乳を注ぐ女』です。
17世紀のオランダでは、生活のひとコマを描いたものが好まれました。
この絵から感じる、時が止まったかのような「静けさ」は・・・

淡い光の効果がそう見せているのでしょうか・・・



  


Posted by makoto at 18:01Comments(0)17世紀 バロック

2011年09月29日

これができたらArtの達人5

この絵・・・だれの絵?



前回までのダ・ビンチ、ラファエロは美術史では「ルネサンス」美術であり、
今回の絵は「バロック」美術となります。
年代としてはルネサンスが15世紀末、バロックは17世紀となります。

①作者はだれ?

②絵の名前とどこの国の美術館ですか?

答えは・・・

作者は、『ベラスケス』絵の中で絵筆を持って、こちらを観ていますよ。

『ラス・メニーナス(女官たち)』が絵の名前です。
 スペインのプラド美術館の至宝ですよ~。

女官たちがマルガリータ王女の周りで世話をしている様子が描かれています。
でも・・・王女も何か言いたげにこちらを見ています。
右下のワンちゃんもこちらをみて安心しています・・・

そうなんです・・・こちら側には国王夫妻がモデルをしているのです。
??夫妻は奥の扉の横にかかる鏡の中に描かれています。



  


Posted by makoto at 20:01Comments(0)17世紀 バロック